FRIDAY(フライデー)

02年王者ますだおかだ・増田が初めて明かす「M-1で優勝を勝ち取るために立てた戦略と覚悟」

<02年のM-1王者 ますだおかだ・増田が初めて明かす「20年後の本音」計15000字インタビュー。今回は優勝の舞台裏で起こっていたことを回想します>

(第一回 増田が回想する「混沌としていた初期M-1の舞台裏」 はこちら)

フラフラやった

昨年11月、BSフジで「漫才論考」という特番が放送された。ますだおかだ・増田英彦、笑い飯・西田、パンクブーブー・佐藤、ハマカーン・神田という漫才王者たちが「漫才とは何か」について語るお笑いファン垂涎のこの番組の中で、増田は「M-1グランプリ2002」に出場した時の状況を、「フラフラやった」と吐露している。

第二代王者となったますだおかだ・増田だが、晴れ晴れしい気持ではなかったと明かす
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「『爆笑オンエアバトル』で、4分ネタをこすり倒している状況。M-1が始まった2001年って、僕らの勢いがちょっと落ち着いた頃でした。ですから、2年前(99年)に始まっていたらベストやったなと。賞レースって鮮度やインパクトが大事やないですか。それが一番生きたのが、99年やったんじゃないのかなって」(増田、以下同)

開催当初は単発で終わるイベントだと思われた「M-1グランプリ」は、第一回の好評を受け、翌年も開催された。昨年、辛酸を舐めたますだおかだにとってはラストイヤー。「二回目があるんやったら、第一回は様子見で出ていなかったと思う」と笑うが、「やるからには出る。出るからには勝つ。勝つためには新ネタで挑むしかない」と腹をくくった。

二本とも新ネタで挑んだわけ

「M-1グランプリ2002」は、審査員に立川談志が登場した唯一の回であり、歌ネタをやるテツandトモの決勝進出、彗星の如く登場した笑い飯など、今振り返っても話題に事欠かない大会。改めて見直すと、“カオス”という言葉がぴったりだ。

「テツandトモのネタを見終わった後、談志師匠が『おまえら、こんなとこに出てくるヤツじゃねえよ』ってお話されてましたよね。世間では談志師匠のキツい一言ととらえられてるけど、僕は“お前らは一つのジャンルを作り上げたんだから、もう出てこないで大丈夫だろ”っていうニュアンスやと思てるんです。漫才の始まりって、もともとは音曲漫才ですからね。その後に、しゃべくり漫才ができた。そうした歴史を知り尽くしている談志師匠が、場違いという意味で、あの言葉を言ったとは思えない」

漫才とは何か、という議題がお笑いファンの間でも論じられるようになっているが、増田は、「サンパチマイク1本使えば漫才です」と、テツandトモのネタを題材にして言い切る。

「テツのほうが走り回るじゃないですか。サンパチマイクを使ってないから、漫才じゃないという声もあります。でも、どれだけ離れても、サンパチマイクが拾う距離でしゃべれば漫才やと思います。横のほうに離れてしゃべったら声が入れへんけど、斜め後ろに離れてたら、サンパチマイクってきれいに拾うんですね。サンパチマイクが使えているか使えていないかが、漫才か否かを分かつという話だと思う。M-1 って予選も決勝も、ピンマイクは付いていないですから」

2001年に波乱を巻き起こす要因となった会場票は、2002年以降、廃止された。審査員の投票のみによる決勝戦。ますだおかだは612点、フットボールアワーの621点に次ぐ2位で、最終決戦への切符を手に入れる。3位は、ダブルボケという奇想天外な漫才で、審査員の度肝を抜いた笑い飯だった(567点)。

「他の芸人さんたちの点数はまったく気にしていなったです。ネタも見てないと思う。自分が描いた戦略、こうやったら勝てるということをちゃんとできたら優勝できると思っていたんです」

では、その戦略とは何か?

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  • 取材・文我妻弘崇

  • 撮影丸山剛史

  • 衣装じぃんず工房大方

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