

先輩たちが語る『甲子園』の功罪「夢の舞台」を失った球児たちへ
773球の熱投で右ヒジ疲労骨折、「松坂から4安打」にとらわれ大スランプ、
甲子園には無縁でスーパーの店員からプロ野球選手になった男、アメリカには全国大会はないが名選手が生まれる
元沖縄水産高校 大野倫(りん)
「甲子園で投手生命が尽きた」

’91年夏、右ヒジのケガをおして甲子園で力投する大野氏。36失点しながらも6試合を一人で投げ抜いた
「たかだか17~18年の人生ですが、当時の私にとって甲子園は高校の目標ではなく、人生の目標でした。強豪校だと、故郷を離れて寮に入っている生徒も少なくない。その夢舞台が突然、なくなるなんて……本人はもちろん、ご家族など周囲の方たちも気持ちの整理がつかないと思います。たくさん泣いて、悔しがって、それから次を考えたらいいよ……と教え子たちには伝えました」
地元・沖縄にボーイズリーグ『うるま東ボーイズ』を設立。小中学生に野球を教えている大野倫氏(47)は絞り出すように語った。大野氏は’91年の夏の甲子園に沖縄水産高のエースとして出場。決勝まで一人で投げ抜いた。