

スペシャルインタビュー青木理(『安倍三代』著者)昭恵夫人、大学の恩師、元上司が語った安倍晋三の「本心」

誰も熱烈に支持しているわけではないのに、歴史的な長期政権となった安倍政権。いったい安倍晋三とは何者か――。これまでも多くの記事や関連書籍が世に出てきたが、その答えに辿りつくことはできなかった。本書『安倍三代』(青木理著・朝日新聞出版)は安倍晋三という人物の核心をついたノンフィクションとして政界・財界・マスコミ界で大きな注目を集めている。
著者の青木理氏に、取材の舞台裏を聞いた 。
――本書では、これまで取材に応じてこなかった関係者の証言が数多く紹介されています。そのなかで、もっとも印象の残った人物(インタビューした人)は誰でしょう?
青木 取材に応じてくれた方はすべて印象に残っていますが、あえて一人名前を挙げるなら、成蹊大学の元学長の宇野重昭さんです。宇野さんは東大教養学部を卒業後、外交官を経て1960年代の後半に成蹊大の教授に就任しました。法学部で長く教鞭をとった成蹊大の最高碩学で、安倍首相の学生時代には国際政治学とアジア研究を教えていました。多くの学生の一人として安倍首相の成績をつけたことも覚えているそうです。
――宇野さんは安倍政権が強力に推し進めた「安全保障関連法制」に反対だそうですね。
青木 宇野さんは決して「反安倍」ではありません。また、かつての教え子に対する論評をこれまで控えてきたようでした。しかし、私の取材では、安保法制にはっきりと「(安倍首相は)間違っている」と断言しました。憲法解釈の変更によって平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張りこんでしまった。そのことをかつての教え子である安倍首相に忠告するべきではないかと考え、手紙を書くかどうか、かなり悩んだそうです。その思いを語るとき、宇野さんの目から涙があふれ出そうになっていました。その涙は安倍首相に対する憤りなのか、それとも失望なのか、私は聞くことはできませんでしたが、宇野さんの真摯な姿勢が伝わってきて、強く印象に残っています。
――本書は安倍晋三、父である安倍晋太郎、そのまた父である安倍寛という三代続く政治家を取材対象としています。安倍首相といえば、昭和の妖怪といわれた岸信介の孫という印象が強いですが、父方の祖父は安倍寛という筋金入りの「反戦政治家」でした。興味深い人物ですね。
青木 日本が戦時ファッショ体制下の最中、安倍寛は東条内閣に敢然と反旗を翻し、特高警察や憲兵の監視や嫌がらせを受けながらも翼賛選挙を非推薦で勝ち抜いた反戦、反骨の政治家です。いまでも地元・山口では熱烈な支持者がいるほど地域社会に根ざした政治家でした。
――ところが、安倍寛や安倍晋太郎を応援していた支持者たちはあまり安倍首相は好きではないようです。
青木 寛や父の晋太郞を熱烈に支持してきた人たちにとって、安倍首相もその系譜を継ぐ地元選出の政治家であることに違いはありません。ただ、その存在感は寛や晋太郎とやはり違う。寛や晋太郎は地元で生まれ育ち、地元の人にとってみると、まさに地域から巣立っていった“郷土の偉人”なわけです。しかし、安倍首相は東京生まれの東京育ち。地元を選挙基盤にはしていても、親近感はほとんどない。だからなのでしょう、寛や晋太郎を熱烈に支持してきた人たちも、晋三を見る目はかなり覚めていて、「父(晋太郎)や祖父(寛)の平和主義を見習ってほしい」という不安の声を数多く聞くことができました。
――安倍総理の支持者には愛国、嫌韓、嫌中、ネトウヨ的な考えを持つ人が多い。一方で、本書には安倍晋太郎氏は在日韓国・朝鮮人の支持者が多く、本人も在日コリアンへの理解やシンパシーを持っていたことが描かれています。
青木 かつて安倍晋太郎の地元事務所や邸宅の敷地が在日コリアンのパチンコ業者から提供され、幾度かメディアで問題提起されてきました。ネトウヨ的な立場から疑心の目で見られることもあったし、大手メディアや週刊誌は「安倍のパチンコ御殿」といったスキャンダルとして書いてきたわけです。
しかし私は、在日コリアンと晋太郎のつながりをそうした偏見なしに取材してみたかった。晋三とは違い、晋太郎は完全な温室育ちではありません。地元・山口で幼少期を過ごし、旧制六高に在学中には同級の在日コリアンと仲良くなって、生涯の友として深く付き合った。選挙区で最大の都市・下関は日本で有数の在日コリアンの街ですから、そこで選挙活動をする中で在日社会とのつながりが深まるのは当然です。
実際に取材してみると、民団(在日本大韓民国民団)系の在日コリアンばかりか、総聯(在日本朝鮮人総聯合会)系の在日コリアンも晋太郎に敬意を寄せていたことに驚きました。保守政治家でありながら、新聞記者も経験した晋太郎には豊富な経験と懐の深さ、そして絶妙なバランス感覚があった。ところが、息子の晋三にはそういう経験もバランス感覚もまったくない。
――父親の人脈や環境が、安倍首相に受け継がれなかったのは何故でしょう。
青木 安倍首相自身、知的な教養や政治哲学を本気で身につけようとしてこなかったのが一つ。また、寛は立派な人だったのだけど、46年に亡くなっているので、安倍首相は寛を知らない。晋太郞は選挙や政治活動が多忙でほとんど触れ合わなかった。安倍首相自身、晋太郞が亡くなったときの追悼文集で、「幼い頃、父と遊んだ記憶がほとんどない」といった趣旨のことを書いています。
一方で母方の祖父である岸信介は、孫を溺愛しました。安倍首相の方も、立派でやさしいお祖父さんなのに、世の中からは不当に批判されているという反発を幼い頃から抱いたのでしょう。それが政治的原点といえば原点です。とはいえ、岸信介のような知性、教養、経験、迫力があるわけでもない。岸に対する敬慕が背景にあり、いまもそれを範としているのは間違いありませんが、率直に言って相当に質の低いカーボンコピーみたいなものだと思います。
――ところで、安倍首相が小学校から大学まで成蹊学園で過ごしたことは、どう思いますか?
青木 いわゆる良家の子女が集う成蹊学園で小学校から大学までを過ごしたことは、別に責められるべきことではありませんが、安倍首相自身、受験の経験がないのは「コンプレックスだ」と自白しています。同じような家庭環境、経済状態、価値観の子どもたちとばかり小学校から大学まで一貫して過ごせば、多感な幼少期や青年期、はぐれ者ややんちゃ者といった“異物”と触れ合う機会は圧倒的に少ない。温室育ちを一括りに否定するつもりはないとはいえ、政治家としてはかなり決定的な欠点、弱点だと思います。
――安倍首相は成蹊大を卒業した後、米国留学を経て神戸製鋼所に就職します。当時の直属の上司が安倍首相の思い出を語っていて、興味深く読みました。
青木 神戸製鋼所で副社長まで務めた矢野信治さんですね。矢野さんは東京本社の鋼板輸出課長だった頃、上司として安倍首相と深く付き合いました。確かに矢野さんの話は前出の宇野さんと同じくらい強い印象が残っています。ある種の理想的な上司像と思うほど率直で、そして状況を冷静に分析できる人物でした。
――安倍首相はいつ頃から右寄りでタカ派、好戦的な政治信条を持つに至ったのでしょう。
青木 矢野さんによれば、神戸製鋼時代、安倍首相と政治談義をしたことは一度もなかったそうです。要領が良く、先輩たちに可愛がられていたけれど、特に何の変哲もない普通のおぼっちゃまで、現在のような政治志向は微塵も感じられなかったと。成蹊学園時代の同級生や恩師たちの証言もまったく同じでした。凡庸で、可もなく不可もなく、何の変哲もないおぼっちゃま。成績が良いわけではなく、かといって悪いわけでもなく、突出したところがまったくない。矢野さんは「可愛い子犬が狼と群れているうちにあんなふうになってしまった」とおっしゃっていた。私も同感です。
つまり、政界入りするまでの安倍首相にいまのような政治志向はなかった。岸信介に憧れているとはいえ、岸ほどの知性や教養があるわけでもなく、それを鍛え上げようと努力を尽くした気配もない。ではいったい安倍首相とは何者なのか。この点、昭恵夫人は私のインタビューにこんなことを語っています。
〈主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像の中の主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣を、ある意味では演じているところがあるのかなと思っています〉
青年期の安倍首相を取材しても、映画監督になるための努力を尽くした気配もない。映画監督になれるほどの才もおそらくない。ただ、これはかなり核心を突いた証言だと思う。ようするに、内側から湧き出るような政治への思いが安倍首相を規定しているわけではなく、名門政治一家に生まれた運命を受け入れ、岸信介へのうっすらとした憧れを抱きつつ、その役目をなんとか無難に、できれば華麗に演じたいと思っている程度の空疎な世襲政治家。そのあたりが安倍首相の本質でしょう。
だとするならば、安倍首相ばかりを批評したり批判したりしても、どこか詮無い。そのような男がトコロテンのように政界に押し出され、あっという間に右派のプリンスとして宰相の座を射止めさせてしまう日本政治のシステムや社会の側の問題点も問わざるを得ないと思います。
――日本の政治システム、社会の側の問題とは?
選挙制度の問題、世襲の問題、安倍政治に対抗できる勢力の脆弱さ、そして、社会にうっすらと広がる排他や不寛容のムード。そうしたものを跳躍台にして首相に就き、長期政権をなしとげつつある安倍晋三は運の良い男だとはいえるでしょう。しかし、そんな男に戦後70年積み重ねた日本の矜持が次々となぎ倒されつつある。後付けの政治思想らしきものにとりつかれた凡庸な男が「歴史的」と評されるような長期政権を成し遂げつつある。果たしてそれでいいのか。私は断固としてそれは違う、と叫びたくなります。

青木理◎1966年、長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。慶應義塾大学卒業後、共同通信社に入社。警視庁公安担当、ソウル特派員などを務めた後、2006年に退社、フリーに。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活動している。